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著者は、南陽市在住の郷土史家。これまで『南陽市史』中巻、『年表写真で見る南陽市史』、『南陽市史編集資料』などの編集に携わり、置賜史談会会長を歴任した。昭和53年に「南陽の歴史を語る会」を立ち上げ、同会はこれまでに学習会を238回、会報の発行219号、平成27年まで活動を続けて南陽市の歴史の掘り下げを行うなど、実績を積み上げてきた。
本書は著者が「南陽の歴史を語る会」の会報などに投稿したものなどをまとめたもの。南陽市に関わる極めて広範囲なテーマを取り扱い、小見出しに従い濃密なエッセンスでまとめ上げている。
第一編では、「江戸時代の暮らしと文化」を論考する。上杉鷹山の時代、椿村や小白川村(現飯豊町)、椚塚村(現南陽市)などで耕作されていない荒れた土地に、越後長岡領から100余戸の新百姓を移住させたことを紹介する。これを「入百姓」といい、入百姓の背景や問題点を指摘する。また江戸時代、農業用水の確保は大きな課題だったが、今でも南陽市には江戸時代に作られた多くの堤が存在する。人々が水不足にどう対応したかが書かれてあり、実に興味深い。宗教に関する研究も重要だ。
第二編は、江戸時代からの教育の歩みを綴る。江戸時代の北条郷の私塾や寺子屋を網羅した。さらに明治期の学校制度や小学校教員の身分を紹介する。著者須崎氏の先祖で、教員となった須崎猪之助(弘化2年生)の生涯を辞令や履歴書でたどりながら、学校制度が始まった明治期の教育制度の変遷を知る。猪之助が明治4年9月に辞令を受けて、旧藩校興譲館の教授となったがこれには驚いた。興譲館洋学舎に赴任した英国人チャールズ・ヘンリー・ダラスとほぼ同じ時期に、同じ学校に勤めたことになる。翌年には、米沢の新制第二小学校に転出し、その後は次々と転出を繰り返し、明治25年には現南陽市にある漆山小学校の教員となった。猪之助の養子夫婦で、小学校教師となった須崎らく、鐵太郎夫婦の軌跡は詳細な経歴が残されており、教員の身分の変遷を知る上で重要な資料となるもの。
第三編は、南陽市の歴史の深堀。「北条郷」の地名の由来や三間通村の歴史、南陽におけるキリシタンの痕跡などを述べる。昨今注目されている現南陽市中山出身の刀工「水心子正秀」、カラフトを探検した最上徳内とその際に参加したと思われる南陽の長谷部辨蔵青年の話は興味をそそられる。長谷部青年がどうやって最上徳内に出会ったか、著者の想像力が遺憾なく発揮されている。明治期に宮内の製糸業を振興した多勢長兵衛の業績は碑文を解き明かしながらきちんとまとめた。
本書は評者も含めて是非欲しいという読者が多数現れると思われる素晴らしい内容だが、非売品となっているのが惜しい。(評者 米沢日報デジタル/成澤礼夫)
編集・発行者 須崎寛二
発行日 2024年10月23日発行
価格 非売品